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←メディア論シラバスへ (2)メディアとは何か
2002,4,18 第2回1、「やったか宿題」 (以下は配布資料より)
キーワード:1959年
定義:(1)皇太子(平成天皇)の結婚パレードというメディアイベントがあり、テレビが全国の茶の間に普及した年。
(2)NHK教育テレビが誕生した年。1999年には、ETV40周年として各種の特集が組まれた。
(3)メディア論の担当者が生誕した年。教育テレビ誕生の10日後に生まれた偶然が、その後の研究活動を運命付けていると錯覚させている原因。解説:(1)「メディアイベント」とは、ダーヤンとカッツによって提唱された概念で、マスコミュニケーションの特別な祭日を意味する。 テレビでは、通常の放送を中断して、ほとんどチャンネルで同じ行事が生中継される。メディアイベント自体は、テレビ局以外の組織によって主催され、 あらかじめ計画され、予告して行われるセレモニー的行事である。オリンピックに代表される「競技型」、アポロ十一号の月面着陸などの「制覇型」、 そして皇太子の結婚パレードが含まれる「戴冠型」に分類される。
1959年は、日本では「岩戸景気」といわれる高度成長期であり、皇太子のパレードをみたいという理由でテレビ受像機が飛躍的に普及した。 テレビ受像機は、洗濯機、冷蔵庫とともに「三種の神器」といわれ、この3つを揃えるのが憧れとされていたが、サラリーマンの平均月収の15倍もする 高価な家電製品であった。NHKのテレビ受信契約数は、1985年5月には100万台であったのが、結婚パレード直前の4月3日には、200万台を超えた。 パレードの中継は推計で、1500万人が見たという(1台あたり7.5人)。
われわれは、1993年に、再び皇太子ご成婚パレードのメディアイベントを経験した。テレビ各局は、この日を「雅子さん」が「雅子さま」に、 つまり民間人が皇族の一員になる通過儀式として構造化して伝えた。これを見た日本人は多く、関東地区での最高視聴率は79.9%を記録したが、34年前のパレードの時に比べて、 「日本人が一体となった」と感じた視聴者の割合は、かなり減っているという指摘もある。つまり、メディアが発達した現在に比べて、 1959年においては、テレビで放映されるメディアイベントが「国民としてひとつになる」という戸か統合の機能を強く果たしていた。(2)、(3)の解説:きわめて個人的な思い入れなので省略
参考文献:浜日出夫(1997)「<地球村>と<テレビの祭日>」「大航海」No.17(特集:マクルハーン再考〜マスコミ批判の原点〜)p.53-61
キーワード:電話(長いものの例)
定義:声を一方的に伝えるメディアから、知己の情報網、閉ざされた会話のためのメディア、ファックスやデータ通信などの声以外の除法を伝え合うメディア、 一家に一台の固定型ファミリー・メディアから一人一台の移動体パーソナルメディアへと進化を続ける通信機器。解説:メディアの中で電話ほど進化を続けているものはない。
電話は肉声を身体から切り離して良そうする最初の装置であり、「対面しない直接コミュニケーション」を可能にした。 空間的には何百kmも離れていても、相手の唇と耳が自分のすぐそばにあるものとして知覚される。 1対1の双方向のコミュニケーションを成立させるために、「読者の完全な参加を要求するエロス的なメディア。恥じらいや親密さの境界を移動させ、想像力を刺激する。 手紙と同じく事故演出の可能性も大きい。手紙は過去の記録化に比重を移し、電話は現在に集中するメディアとなった。」 見えないことで距離感がなくなり、見えないことで嘘もつけるメディアである。
電話は、好き嫌いが分かれるメディアである。電話隙は距離感のなさを強調し、電話嫌いは、いきなりプライベート空間を邪魔する電話の「暴力性」を問題にする。
最も遠く、最も近いメディアである電話。かけている場所を脱コンテキスト化し、どこでもない場所へと変容させていく電話。 電話はまさに、「メディアに囲まれた時代」を象徴するメディアである。参考文献:いとうせいこう(1993)「いとうせいこう&香山リカの長電話〜電話って嫌だね」
「電話〜コミュニケーション・ジャングル(INUX BOOKLET)」INUX出版、p.43-49
金澤寛太郎(1997)「現代のメディア環境」学文社
佐藤卓己(1998)「現代メディア史」岩波書店
中野純(1993)「骨導対話の快楽」「電話〜コミュニケーション・ジャングル(INUX BOOKLET)」INUX出版、p.56-57
吉見俊哉(1996)「テレフォンのある風景」「リアリティ・トラジット〜情報消費社会の現在」紀伊国屋書店、p.108-115キーワード:メディアとは何か?(短いものの例)
定義:出来事に意味を付与した意見を知識に変換する記号の伝達媒体。メディウム(medium)の複数形。(佐藤、1998、p3)解説:「メディアはメッセージである」とは、メディア形式がコミュニケーションの性質を規定することを指摘した マクルーハンの有名なテーゼ。メッセージ研究(内容分析=効果研究)からメディウム研究(媒体→文化環境の分析)へのパラダイム展開を意味した。
メディア=マスメディアという時代から、何でもメディア時代へと、メディアということばの意味することが広がっている。佐藤(1998)は、次のように指摘する。
今日、酒食前に美容整形する女子学生が自らの身体を「メディア」と意識するか否かはともかく、客観的にみれば、その身体はすでに資本の投下領域となっている。 その意味では、現代社会は、すべてのモノ、コト、ヒトが情報の発信装置と化し、 メッセージ性を帯びるメディア社会である。(佐藤、1998、p3)
参考文献:佐藤卓己(1998)「現代メディア史」岩波書店2、出展を明らかにすること
(以下は配布資料より)
<文献の書き方>文献は以下の形式により作成すること.筆者が複数の場合も,全著者の氏名 (英語の場合は氏名とイニシャル)を記入すること.論文標題中の単語については,文頭以外は 小文字を使用すること.雑誌名は,付録Gの「学術雑誌略語表」に従って略語で記すこと.
・雑誌
[1]著者名,"標題,"雑誌名,巻,号,pp.を付けて始めー終りのページ,月(英語)年.・著書,編書
[2]著者名,署名,編者名,発行所,発行都市名,発行年.・著書の一部を引用する場合
[3]著者名,"標題,"書名,編者名,章番号またはpp.を付けて始めー終りのページ,発行所,発行都市名,発行年.・国際会議
[4]著者名,"表題,"会議名,no.を付けて論文番号,pp.を付けて始めー終りのページ,都市名,国名.月(英語)年.・国内大会,研究会論文集
[5]著者名,"表題,"学会論文集名,分冊または号,no.を付けて論文番号,pp.を付けて始めー終りのページ,月(英語)年.<文献の引用の仕方>
本文中の適当な箇所に半角で[12]等の番号を付けて引用すること.上つきにはしない.
投稿中の論文の引用は最小限にとどめる.他の文献で代替できない場合に限り,文献として引用する. この場合も該当箇所の記述を論文原稿に含めることによって投稿中論文の引用を避けることができないか, 十分に検討する.査読者が入手しにくいと思われる文献はコピーを添付すること.(電子通信情報学会より)
<原稿執筆上の一般的注意事項>
(1)専門用語については,簡単な用語解説を添付することが望ましい. また本文中に使用する記号には必ず説明をつける.
(2)参考文献は原則として,雑誌の場合には,著者,標題,雑誌名,巻,号,ページ,発行年を, 単行本の場合には,著者,書名,ページ数,発行所,発行年を,この順に記す. 次の例を参照にされたい.
4)山田太郎:偏微分方程式の数値解法,情報処理,Vol.1,No.1,pp.6〜10(1960).
5)Feldman,J.and Gries,D.:Translater Writing System,Comm.ACM,Vol.11,No.2,pp.77-113(1968).
7)大山一夫:電子計算機,p.300,情報出版,東京(1991).
8)Wilks,M.V:Time Sharing Computer Systems,p.200,McDonald,New York(1960).
(情報処理学会論文集)3、メディアイベント
昔のモノクロ映像をみた。
皇太子(平成天皇)の結婚パレードの生中継、ミッチーブーム、力道山などの映像4、メディア社会
「今のメディア」をみることで、社会全体をみることが可能。
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