★教科書★現代生徒指導の理論(木原 孝博著)
(4)受容がもたらすもの「仲間に対しても心を開いてくる」
  小学校2年生の算数の授業の時間である。単位分数を教える授業である。
  教師は、1枚の紙を取り出して、それを子どもに示しながら、「これを1とします。」という。単位を示している
のである。次にその紙を半分に折って、「これを、算数の言葉で何といおいますか。」と質問する。「1/2」と答
えてもらいたいのである。
  その学級の中で、算数のあまりよくできない吉川君という子どもがいた。教師が質問すると、手を挙げる。いつも
は手を挙げない子どもなので、教師は、吉川君を指名する。
  すると吉川君は、起立して、「5」と答える。教師は紙を半分に折って「これを算数の言葉で、何といいますか」
と質問しているのである。1よりも小さな数でなければならない。それを、この吉川君は「5」と答えるのである。
教師は、吉川君がなぜ「5」と答えているのかよく分からない。そこで教師は、「なぜ?」と尋ねる。すると吉川君
は、「5」「5」とおうむ返しに答えを繰り返すばかりである。教師は、吉川君の答えの意味を考えあぐんで、首を
かしげている。その時である。一人の男の子が起立して、次のような発言をするのである。「先生、吉川君のいうこ
と、ぼく分かるような気がする。この前先生は、1リットルの半分は、5デシリットルと教えてくれただろう。だか
ら吉川君の5のうしろに、何か言葉を付け加えたらいいのではないですか。」
  するともう一人の男の子が、手を挙げて、さらに次のように発言するのである。「そうだ、1cmの半分は、5mmだ
もの。」こうしてこの算数の授業は、いやが上にも盛り上がったというのである。

  ここで注目したいのは、学級の子どもたちが、「5」と答えた吉川君の立場に立って、一生懸命に考えていること
である。普通の教室であれば、誰かが答えて、教師が首をかしげると、それは明らかに間違った答えであることがわ
かるので、「ハイ」「ハイ」「ハイ」と指名争いが展開される。間違った答えをした子どもは、着席して下を向き、
萎縮してしまう。そしてもう2度と手を挙げなくなってしまう。その様子を見て、他の子どもは、一段と声をはり上
げながら、「ハイ」「ハイ」と指名争いを展開する。これが普通の教室の風景である。だがこの教室は、そうではな
い。吉川君の立場に立って、なぜ吉川君が「5」と答えたのか、吉川君の考え方を一生懸命考えているのである。
  他の教室では指名争いが展開されるのに、この教室では、なぜ吉川君の立場に立って考える子どもができたのか。
  それは、この教室では、学級担任教師が一人一人の子どもを受容していたからである。…
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2. 教師の励まし方と子どもの自己概念形成「ピグマリオン効果」
  ローゼンソールとジェイコブソンの「教室におけるピグマリオン」によって、教師の子どもに対する態度が、子ど
もの人格形成に、いかに大きな影響を与えるものであるかを、明らかにしている。
  彼らは、ある小学校で、学年の終わりに、子どもに対して、「ハーバード習熟度テスト」を実施した。このテスト
は、標準化された非言語的な知能テストである。
  テスト実施時にかれらは教師たちに、次のような説明をした。
  この種のテストは、来年度、知的に急成長する可能性のある子どもを選び出すのに有効なテストであり、予測の信
頼性の高いテストであると。
  そして新学期が始まる直前に、かれらは教師に、数名の子どもの名前のかかれたリストを手渡し、このリストの子
どもは、先日のテストで、学校全体の上位20%の成績をとって子どもであると説明した。もちろんその説明は、事実
ではなく、分析のためにアトランダムに選んだものであった。
  選ばれてリストにあがっていた子どもたちは、統制軍(選ばれた生徒以外の生徒)よりもはるかに良い成績結果を
とったのである。
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子どもが間違ったことをした時の教師の態度
  子どもが間違ったことをする。教師としては、すぐ叱りつけたいものである。しかし子どもにしてみれば、「しま
った」と思っている。そこに追い討ちをかけて叱ってはならない。「ここまでは、できたのだから、今度はこうして
ごらん」と、間違っているところを指摘したり、否定するよりは、「ここまでは、できた」と、できたところを強調
するのである。言い換えれば、一つのことを失敗しても、他の面ができていたら、それをほめるのである。
  小学校低学年あたりまでは、極めて有効な方法である。このような教科の授業とも関連があることだが、教師でな
ければ、見えないところ、教師でなければ気のつかないところをほめる。言い換えれば、教師でなければほめられな
いところをほめるのである。
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学級集団の励まし合い
  太郎君は、縄跳びができなくて、べそをかきながら一生懸命練習を続けていた。ついにできだした。先生も抱きか
かえんばかりにして、「できた。よかった」。
  まず教師がほめてやる。そして次の授業のとき、真っ先に「太郎君は、30回も縄跳びができるようになったんだよ。
頑張ったからね。よかったね」と学級にむかって、語り書ける。子どもたちは、今までできなくてべそをかいていた
太郎君を知っているだけに「すごーい。よかった」と、一斉に拍手をする。太郎君はほんとうに嬉しそうだった。そ
れを契機に活発な子どもに成長していった。

  跳び箱のできなかった花子さんの場合も、期待どおりに子どもが承認の拍手をしてくれ、花子さんは、見違えるよ
うに生き生きとしてきた。「花子さんは、跳び箱が、3段もできたんだよ」。子どもたちは、一斉に「すごい。よか
った」と拍手。

  ・・・
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