11/22  10:30 - 12:00

記者・文責 並河岳史


開かれた質問と閉じられた質問

 火曜5限の授業で出た話ということですが、人に対して何かをたずねる時のやりかたとして、開かれた質問と閉じられた質問というものがあるそうです。
 閉じられた質問は「犬は好きですか?」などの、「はい」と「いいえ」で答えられるものや、3択や4択など選択肢があらかじめ限定されている質問を指します。それに対して、開かれた質問は「何がしたいですか?」などの基本的に選択肢が限定されない質問を指します。
 なぜそんな話が出てきたのかというと、県内の養護施設に実習に出ていた社会福祉学部の学生が二週間ぶりに帰ってきたので、何をしてきたのかについて発表してもらったからです。彼らが行ってきた施設には体に障害を持っているだけではなく痴呆の方も多く、そういった方には「開かれた質問」をしても答えてもらえない。でも、「ごはん食べる?」とか「寝る?」などの「閉じられた質問」になら答えてもらえる。その話が特に黒岩先生の印象に残ったということです。
 ロシア事情の授業でも、先生はよく指名せずに受講者に問いかけるのですが、誰も答えない場合が少なくありません。発言する人もわりと決まっていて、記者と他に数名というのが現状です。まあ、答えが一つに決まっている質問なんて誰が答えても同じだから面倒だというのもあるかもしれないし、いい子ぶっている匂いをさせたくないのもあるでしょうし、いろいろですけどね。「閉じられた」「開かれた」という以外に、答えがあらかじめ決まっている質問というのも分類の基準にあってもいい気がします。そんなのは授業ぐらいにしかないのかもしれませんが。
 昨年度の後期だったか今年度の前期だったか忘れましたが、起業論という科目の講師は、授業の内容に一応関連しているものの、誰もがわかっているような事をいちいち質問して答えさせていて、すごく嫌な感じでした。共通棟101号室を使う、それなりに受講者の多い講義でそんなことをしてもらっても困ります。講義において発言するという行為は人の目にさらされている以上、、自己顕示とか自己主張の要素が当然含まれています。つまらない質問にまじめに答えても何のメリットもありません。実際、その講義でも学生の多くは質問を無視して10人目以降でやっと答える人が現れることも珍しくありませんでした。
 黒岩先生は「あなたたちは閉じられた質問にもろくに答えてくれない」というようなことを言いました。黒岩先生の質問はたいてい開かれた質問ですが、答えが限定されているものが多いです。受講者のロシア事情に通じている水準から仕方ないのだと思われます。それに、よほど生徒のやる気というかテンションが高くないと答えの限定されない質問に積極的に答えることはなさそうですし、答えの限定されない質問を授業に取り入れるのがなかなか難しいことは想像できますが。


特別養護老人ホーム・知的障害者総合援助施設

 この授業でも福祉学部の二人の学生が、実習の体験談を発表してくれました。
 一人目に話してくれたのは、いつも前のほうに座っている男子学生で、わりとよく発言する人です。
 彼はある特別養護老人ホームに実習に行ってきました。養護老人ホームには頭に「特別」と付かないものと付くものがあるそうで、「特別」と付くのは日常的な生活が難しい65歳以上のお年寄りを対象とした施設だそうです。日常的な生活が難しいというのは、排泄・食事・歩行などを自力でできない方のことで、そのどれも自力でできない全介助のお年寄りが利用者の半分以上を占める施設で、彼は二週間の実習をしてきました。宿泊施設などはなく、利用者と同じ設備の部屋に泊まっていたそうです。
 介助の実態について詳しい描写はしたくなかったようです。あるいは、他学部の一般的な大学生の生活に使われる言葉(言語)では説明しにくいものだったのかもしれません。とりあえず、排便の世話は当たり前だそうです。世話といってもおむつ交換が主になるのですが、おとなしくおむつを替えさせてくれる人はいいのですが抵抗する人もいるそうです。他に楽しみがないから心がそうなるのでしょうか。実態を知らないのでなんとも言えませんが、知っても楽しくなさそうで知りたくない気がしました。
 食事介助については生々しくないためか、実例を挙げて話してくれました。ごはんをどうしても食べようとしない方もいるそうです。そういった方でも甘いものなら食べてくれる人もいて、ごはんをのせたスプーンの先に甘いものをつけて、それで口を開いてもらうそうです。そういった場合に、ただまっすぐスプーンを口にあてるのではなく、下唇の端のほうからあてるとうまくいくそうです。
 この施設は利用者130人に対して職員も130人ぐらいで、実際に介助をしているのは50人ほどだそうです。
 二人目に話してくれたのは、窓際の前のほうに座っている女子学生でした。
 彼女が行ってきたのは県立の知的障害者総合援助施設でした。「こういうことを言ってはまずいんですが」と前置きしたうえで彼女は「県立の施設というのは、民間の施設では受け付けてもらえない重度の方ばかり来ているんです」というようなことを言いました。利用者は250人ほどで、6つの寮に分かれているそうです。そのうち4つが重度の利用者のもので、2つが中軽度の知的障害者の方がいる寮でした。彼女が実習させてもらったのは中軽度の方の寮だそうですが、それでも全介助(排泄・食事・歩行)は当たり前だそうです。
 知的障害者と言っても、施設暮らしで弱っていたり、在宅だった時もあまり出歩きにくかったりして、みんな体が弱っているそうです。そのため、他の老人介護施設の利用者と同じように体に障害を持っていたり、あるいはそれよりひどい障害を持っている場合もあるそうです。彼女の友達で同じ施設の重度の利用者の寮で実習をした人の話によると、自分の服を切り刻まずにいられない人もいたそうです。

 話そのものから、施設の実態をさとるのはできそうにありません。ただ、話す彼らの目が前より揺るがない感じになっていたような気がしました。おそらく、違う世界を見てきたからなのでしょう。距離的には身近な場所にある老人介護施設の中は、およそ大学生の生活とはかけ離れた異文化だったのでしょう。ほとんど海外に行くようなギャップがあったのかもしれません。二週間という短い時間でしたが、彼らの心に何か変化を及ぼしたことだけはなんとなく感じ取れました。


北方領土問題と世論

 高校の現代社会の教科書に週刊誌「アエラ」からの記事の抜粋が載っていたそうです。その内容は北方領土に関するもので、北方四島をロシアからもぎとっても、漁場はすぐに枯れてしまうだろうし、現在の住民への社会保障費用もかかり、経済的には大赤字になるだろうというものでした。
 たぶん、記事の内容はその通りなのでしょう。だとしても、日本の世論は北方領土返還を望んでいるようです。
 憲法改正とか、税制度とか、教科書の記述でもいいですが、そういった問題にはだいたい賛成派と反対派がいて、それぞれの主張がはっきりしている場合がほとんどです。ところが、北方領土問題には反対派が事実上いません。北方領土返還は国民の総意と言ってもいいらしいです。記者としては今ひとつ実感がわきませんが、たしかに返還されればうれしい気がするし、どちらかと言えば帰ってきたほうがいいです。仮に経済的に割に合わないとしても、帰ってきたほうがいいような気がします。
 日本があの島々を固有の領土だと主張する根拠は、1855年の日露通好条約です。条約の文面によって、ウルップ・択捉間に国境が画定されています。その後、樺太や千島列島は日露戦争やシベリア出兵によって何度か統治者が移りましたが、北方四島だけは、第二次大戦後にソビエト連邦が軍事占領するまでずっと日本の領土であり続けました。それに対するロシア側の主張としては、第二次大戦末期にアメリカ・イギリスとの3国で結ばれたヤルタ協定によって、ソビエトが北方領土を取ることが国際的に認められたはずだとしています。また、第二次大戦によって奪った領土はすべて元のように返還するというサンフランシスコ講和条約には、ソビエトは調印していませんでした。
 そんなわけで今に至ります。

 ところで、領土って何なのでしょうか?
 北方領土が返ってこようがこなくても、記者の生活には何も関わってきません。よく考えてみれば、どうでもいいような気がします。
 そもそも国はなぜ存在するのでしょうか。本当に必要なのでしょうか。
 理屈よりも先に国というものは存在していたはずです。縄文以前から人間は集団で狩りをしたり植物の実を採集したりして生きていたのですから。集団(バンドと呼ばれる)を国の原型とするなら、国は人々が生きていくため、そして生活を守るために存在しているはずです。
 しかし、現在の国は無駄にメンタリティを気にしたり、住んでいる人々全体のために機能していなかったりします。
 この話題については記者の私見です。また紙幅が余れば(←慣用表現)詳しく書くかもしれません。


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