メディア論 5回目


昭和60年のCAIの話
黒板と先生による今までの授業では、平均的な学力の生徒に合わせて教えるため、落ちこぼれ(難しくてわからない)と浮きこぼし(簡単でつまらない)が出る。
コンピューターをひとりひとりに使わせて個人の達成度に合わせて授業が進む方式(CAI)が考案され、筑波のある小学校で試験導入されたが、親などの反発や対応できない教師陣など、いくつかの問題点が明らかになった。
生徒が勝手に進むので教師が授業を制御できない。生徒が学ぶ内容を教師があらかじめ知ることができないので、教師の知らないことを生徒が知ってしまう。それに抵抗を覚える教師達。
並河の意見としては、教師はぬるすぎる。彼らは教員免許を取った時点で、自分の勉強は終わったと思っているのだ。さらに学ぼうという姿勢を持たずに、学ぶことを人に教えようとしている。
極端なことを言えば、教員免許も数年ごとに更新させたほうがいいのではないか。
教員試験の内容も悪いのだろうが。
アルビン・トフラーの「第三の波」
人類はここまで文明を発展させる道のりでいくつかの波を経験した。
一つ目は農業化という波。人類は定住生活を営むようになり、寿命も伸びて、老人たちの記憶が多くのことを語り伝えた。世代を超えて共有される記憶の量は、狩猟採集による移動生活をしていた頃よりも大きくなった。手工業など、現在でいう第二次産業が生まれた。
二つ目は工業化という波。蒸気機関の発明により、工場が各地に作られた。気ままな牧畜で生活していた者に工場で働く規律を教えるために、大衆のための学校が作られた。時間を守り、規律を守り、上位者に従う習慣を身に付けるために学校が作られたのだ。
それによって大衆に文字が普及し、印刷技術の発達もあって、ペーパーメディアが普及した。人類の中で共有される記憶は飛躍的に増大した。
そして、第三の波は情報化だと、アルビン・トフラーは言っている。
メディア論とは少し離れた前置きだったが、鈴木先生がこの話を持ってきたのは、情報化というメディアの歴史における革命的な事件の重大性を言いたかったのだと考えている。

と思ったが、話はどこまでも彼の専門の教育方面に。
メディア論って、一体。
並河としては別にいいけど。


○ 配られたプリントとかやったこと

(4)ネチズンの条件
・ A・トフラーの第三の波
・ 情報やメディアに関する本からの抜粋B4を5枚
次回へつづく

目次にもどる

時間割までもどる

鈴木研ホームへ



なお、このページは作成者のあいまいな記憶に基づいて書かれているので

もし間違いがあってもあまり責めないでください