メディア論感想

氏名 森山了一
学籍番号 0311998162
g031w162@edu.soft.iwate-pu.ac.jp

学んだこと1:情報とは

「それは何か」

「ソース」+「知識」→「情報」

「なぜ重要だと思ったのか」

気がついたら、黙っていてもどんどん情報が手に入る時代になっていた。たとえば、テレビというメディアはその前にボーっと座っているだけで無数の情報を送ってくる。
だが、我々は果たしてその情報たちをきちんと活かせているのだろうか。情報は「ソース」と「知識」から成り立っている。ここでいう知識とはソースを分析し、思考/研究した結果生み出されるものを指す。知識がないとその人にとってソースは情報としての意味をなさない。だが今日多くの人はあり余るソースに溺れて知識の重要さを忘れているのではないだろうか。
そして気がついたら、黙っていては何の情報も手に入らない時代になっていく。たとえば、双方向テレビというメディアは自分の意志をもって情報を選択しないことには何も始まらない。「考える」ことが必要なのである。

学んだこと2:「考えること」の必要性

「それは何か」

さまざまなメディアを通して情報を提供・享受するとき、「考える」という行為を伴わない限り、そこに得るものはない。

「なぜ重要だと思ったのか」

具体的にいうと、「その情報は自分に必要か不必要か、その情報は信頼できるのかそうでないのか、その情報は自分の意見とどのような位置関係にあるのか」考えることが求められている。これは単に騙されるのを防ぐべく常に猜疑心をもって行動せよということではない。ここで「ソースを分析し、思考/研究」することはまぎれもなく知識を豊かにする行為であって、情報を活用するスキルの更なる向上が期待できるわけである。
ところで、情報を発信する側はどうなのだろう。普通は誰に何を伝えたいという前提があって発信するのだろうから、何も考えずにやっている人はいないと思われる。だが実際はその大前提をしっかり認識できず、表現したいことが表現できてないことが多い。

学んだこと3:表現力とメディア

「それは何か」

情報発信が容易な現代、問われる表現力-結局は「考えることが大事」

「なぜ重要だと思ったのか」

この「表現したいことが表現できない」ということに関しては、講義資料中の一節にあった「他人からの評価を意識したり、権力や仲間への気配りが過ぎたり、自分の身を守りたいと思うなど、何らかの抑制が働くと表現全体が死んだものになる」という話まさにこれに大きく作用している。だがやはり情報発信者として大切なものはなにより「誰に何を伝えたいか」なのである。これをしっかり考えて把握できていれば何の問題もない。
ただ、いま表現したいものが規制されてゆくメディアがある。それはインターネット。次々と定められていく法はインターネットの今後にどう影響を与えていくのだろうか(キーワード「品位法」参照)。

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