0311998124 : 長澤 郁子
学んだこと1:『学ぶ』ことについて学んだ
「それは何か」このメディア論の講義を振り返ると「非常に難しかった」という一言に尽きる。
なぜこのような感想を持つかというと、常に一人一人がじっくり考え(一部例外アリ)、その成果を知識として蓄積するような一連の流れが講義にあったからだ。 学生が思考するにあたり鈴木先生はどうとても解釈することができ、かつ根の深いトピックや問題を多く提供されていたように思う。 あくまでこの講義は学生の思考力が主体であり、講義自体はその補助的にきっかけを与えたり、誤りの訂正であったように感じられた。
つまりこれが『学ぶ』ことの本質であると私は考えた。
知識は流れている情報をただ吸収するのではなく、得た情報を各々で加工し、その加工された物を蓄積することにより、初めて知識となるのだと思う。 この流れこそが『学ぶ』ことではないだろうか? 一風変わったメディア論の講義スタイルは私に多くの興味や疑問、関心を与えてくれた。 また、新たな考えが生まれたり、視野が広がったように思う。
さらに『学ぶ』ことも一つの情報リテラシーだと思った。「なぜ重要だと思ったのか」
今後の大学での私の学習に対する取り組み方の指標になったから。
学んだこと2:素直な人間は絶滅の危機にある
「それは何か」あふれる情報の波間に漂う私たちは情報リテラシーを身につけ必要に応じて情報を選び抜き、それを判断することの重要度は増す一方である。 こうした情報はメディアによって我々に提供されている場合が多くみられる。 よって私たちはメディアリテラシーと言うものも身につける必要があることを知った。 メディアリテラシーとは、メディア使用能力・受容能力・表現能力の3つを束ねて丸めた総体のことを言う。(水越、1999)
メディアは大量の情報を不特定多数の人に向かい流しつづける。 しかし、その源流には発信元(人間)の意思や意図が介在してしまい、やらせや情報操作といった危険性を孕んでしまう。 それにより、私たちは知らず知らずのうちに内的・外的に多大な影響を受けてしまう。 こうした問題から身を守る方法としてメディアからの情報を批判的かつ懐疑的に受け止めるメディアリテラシーがあるのである。 そして情報の裏に含まれる意味を探り、それらを踏まえておく必要がある。
よって、情報を素直に受け入れ信じてしまうようでは無意識のうちに情報ないし誰かの思惑に飲み込まれてしまうことになるため、素直な人々は変化を余儀なくされ、(言い方が少し悪いが)ひねくれ者、疑い深い者が増えていくような気がするということである。 またそうなるように今後はメディアリテラシー教育が普及していくと思った。
こうした事をメディアリテラシーのあたりから学んだ。「なぜ重要だと思ったのか」
メディアリテラシーの重要性を知ると共に、素直な人でも安全に暮らせる環境を構築する必要性とニーズがあると思うきっかけになったから。
学んだこと3:こんてんつのじゅうようせいについて
「それは何か」メディアでは一番コンテンツが大切だということをメディアアーティストの岩井さんのビデオを中心に学び取った。 この講義を受ける以前、メディア(社会)では中身より新しい技術のほうが地位が高いように思っていた。 技術の進歩が表現を豊かにし、素晴らしいものを作り出すような気がしていた。 しかし、技術はあくまでもコンテンツを飾り立てる装飾品のようなものだということがわかった。
また、毎回の掲示板への書き込みや提出物で何らかの表現を求められた時にコンテンツの存在感の大きさを知った。 常日頃から、私たちは何かを表現しながら生活している。 然し日常ではコンテンツはあまり意識されていないと思う。 しかし、メディアについて学びながら、表現をおこなうにあたりコンテンツを意識してみると、私の文章からはコンテンツがあまり見られないことが分かり、今後の自己課題になった。
コンテンツは量ではなく質であることも忘れてはならない私の改善点である。「なぜ重要だと思ったのか」
私にとって一番この講義で印象深く、また衝撃的だったことが、岩井俊雄さんの作品だったから。