自己離脱感





定義
自己が自己から分離して異なる宇宙へと没入していくような感覚



解説
コンピュータにおいてテレビの場合のようにある種の「増幅装置」を用いた例ではなくても、もっと簡単に、一種 のトリップ状態――別の感覚状態への自己の分離――が生じる。そのもっとも典型的な例の一つは、とりわけロール プレイング、アドベンチャー、アクション、シミュレーションといったジャンルのゲーム(要するにパズル以外のほと んど全部?)である。もともとそういったゲームにおいては、コンピュータの中でのある仮想的な状況において別の 自己を演じることが想定されているわけだが、ゲームに没入するにしたがって、演じている別の自己に対する本来の 自己のまなざしの距離は失われてゆき、「自己」として意識されているものは完全にゲームの世界の中で動き始める。 つまり、本来の自己のもつ現実感覚とは切り離されて、メディアと接続することによって生じた、別の世界に対す る感覚をもつようになる。こういった現象は、初期のファミコン時代の粗雑な画面と無機的な電子音においてさえ 劇的に生じていたのだが、現在のきわめてリアルな三次元的運動を表示する画面やリアルな音声においては、さらに 容易にしかも深く引き起こされることになるのではないだろうか。このような別の感覚状態へのトリップがテレビ よりもはるかに容易に引き起こされうる決定的な理由の一つは、コンピュータにおいては、テレビのように単に受動的 に画像を見るのではなく、自分からの働きかけが画像や音声に直接の反応として現れるということにある。その意 味で、インターネットにおけるウェブ上のネット・サーフィンもやはり同様の効果を引き起こしていると思われる。 リンクを形成している箇所をクリックすることにより、次々と新たなサイトにたどり着くときに感じる感覚は、コンピ ュータのモニターを前にして座っている本来の自己の現実感覚からまったく分離して、いわば自己の意識だけがコンピ ュータのネットの中を泳いでいるかのように移動している感覚といえるかもしれない。それはまさにサーフィンの快 楽であり、電話の場合と同じように、圧倒的な情報収集能力や、時間的・空間的距離を圧倒的に短縮してデジタル的に 一元化された情報を交換する能力といった、インターネット本来の道具的使用そのものの価値のためだけでなく、むし ろインターネットをするという行為自体の楽しみのため、つまり本来は単に手段にすぎないものの即自充足的な価値の ために、これほどまでにインターネットが一般に広まったといえるだろう。


参考文献
「1998年 インターネット講座 メディア・情報・身体─メディア論の射程」http://www.lit.osaka-cu.ac.jp/ipu/users/yamaguci/inet_lec/inhalt.htm




担当者:阿部 夏奈子

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