メディア化した自分


定義

 自分が「人に見られている」という快感を持つと同時に、「見られているのは自分ではない」つまり、メディア化した自分にすぎないという、矛盾した二重性。

解説

 自己はカラオケを歌うとき、カラオケによってメディア化した自己とオリジナルとしての自己とに分化している。オリジナルとしての自己は、メディア化した自己を内的に観察することが可能である。他社が見ているのはメディア化した自己だけであって、オリジナルとしての自己はその陰で見えない。つまり、オリジナルとしての自己は他者からは見られていない存在として、メディア化したじこを操作することができる。しかも、オリジナルとしての自己は他者を見ることができる。さらに、他者の視点を通して他者から見られているメディア化した自己を見ることができる。
 カラオケには、演ずる側に圧倒的な支店の優位性があり、演ずる側は中止のスイッチを押して、無効化することができる。その時、消滅するのはメディア化した自分であり、オリジナルとしての自己は傷一つ負わない。消滅したはずのメディア化した自分も、次の曲のイントロとともに再生する。カラオケはこうしてメディア的に自己を際限なく複製することがによって快楽を生み出す。

参考文献

「メディア空間文化論」 成田康昭 有信堂 1997


担当 0311998018 一戸 亜弥