個人レポート(細川 美佳子編)

メディア論(担当:鈴木克明)99.8.7.
個人レポート「メディア論を振り返って」


 レポート課題:この講義で学んだことを3つ述べよ。

 

学んだこと その1: やらせに騙されるな!!


「それは何か」

社会的、科学的事象から自然現象までをも意図的に番組製作したり、番組を脚色・演出 あるいはレポート、また番組内で演出者にそのように表現させること。

「なぜ重要だと思ったのか」

今までテレビで様々なシーンを見てきて、感動したり、納得したり、もはやテレビは 一般のメディアには欠かせない存在だというのに、やらせによって騙されていたことを 知ってショックだったから。特にNHKなんて言ったら、教育番組のようなものだと思っ ていたのに、ドキュメンタリーで やらせをやっていたのには愕然とした。NHKだけはた とえ視聴率が悪くても(失礼、、、。)教育現場に普及し、貢献できる良いチャンネルだ と思っていただけに、全ての番組においてますます信頼性が薄れてしまった。

しかし、そこまでやらせをやってまで視聴率を伸ばしたいのだろうか。実際、民法の チャンネルは、視聴率があまりにも悪いと終わってしまう。過去にはたったの5回で 放送終了してしまったバラエティー番組も知っている。しかし、視聴率だって実際のと ころは一部の聴衆からしか調べていないものだから、私は視聴率自体あまり意味のない ものだと思う。人は、何でも数字化しランキングを付けて、順位が下のものは排除する のがどうやら好きなようだ。

まぁ、これが大人の世界に限ってならともかく、物事を真面目に捕らえてしまう子供 達に将来悪影響を及ぼしてしまうかもしれないと思うと、非常に怖い気分になってしま うのは、私だけだろうか。 何故なら嘘を本当だと思い込んでしまう例で、本当はやっ てはいけないことを番組で放送したあ後に、同じことをしようとして、世間から常識の ないヤツと思われたり、あるいは阻害されてしまいかねないからだ。

だから、本当はやらせという行為はないのが望ましいと思うが、やらせが存在すると いうことを知っておくべきである。そして、やらせかそうでないかの判断ができるよう な能力を身につけようかなぁと思う。騙されにくい人ほど世の中うまく行くのかも。

 

学んだこと その2:カラオケは本当にメディア化した自分になるのか??


「それは何か」

メディア空間における自分の存在というものは如何なるものなのか?人に見られている という快感を持つと同時に、見られているのは自分ではなく、メディア化した自分にす ぎない。この矛盾した2重性をメディアとしてのカラオケが果たしている。 視る、視られるの関係は、視線と表現の両極によって変化している。



「なぜ重要だと思ったのか」

カラオケボックスは、最近グループで遊ぶ時に一番よく利用される場所ではないだろ うか。しかし、大勢で行っても我先に歌おうとしてマイクを話さない人もいれば、人前 で歌うのは苦手あるいは嫌だと言って、決して歌おうとしない人もいる。果たして良く 歌う人程メディア化した人なのだろうかと思ったから。

確かにアーティストのライブは一方的な評価の視線にさらされてしまい、評価のされ方 によっては人気が落ちたり逆に上がったりすることも考えられる。演奏したり歌ってい る人達がいくら一生懸命になっても、視ている人達に受け入れられるかそうでないかで はかなり違う。なにせ、人生歌で食べていけるかそうでないかが決まってしまうからで ある。

しかし、カラオケの場合は歌ってる側に圧倒的な視線の優位性がある。自己は傷一つ負 わずにメディア的に際限なく複製できる。カラオケとは、もともとのヒット曲を歌うも ので、たとえ歌が上手くてもそうでなくとも大衆に評価されるわけではない。個人的には カラオケとはその場が盛り上がって楽しい気分になれば良いと思う程度のものだったが、 カラオケがメディアとなりうる点を視点を変えて述べると、世界に通用する日本文化の ひとつであることは間違いない。また、商業的な価値としては、「カラオケで歌えるよ うになるため」という理由でCDを買う人々が増えた。だから、今、すべてのカラオケ を廃止したとすれば、CDの全体売り上げは30%以上落ち込むだろうと言われている。 もちろんこの理由は、曲を歌えることをステータスとしているからである。何故ステータ スになるかというと、「皆で共有する」空間を求めているからだと思う。


学んだこと その3: 映画からも学べることがある


「それは何か」

情報操作によって、間違った情報なのに気付かないで操られている人々のビデオ例

「なぜ重要だと思ったのか」

間違った考えでも、いったんみんなに広まってしまうと恐ろしい結果を招いてしまう んだなぁと思ったから。もしかすると、今も知らされていないことは山のように存在す るのではないだろうか。何故なら、世界中で権力者達が情報操作をしている中で、我々 は裏の裏まではとうてい知ることは不可能だからだ。あの権力者に操られているビデオ を見て、いつか自分も操られてしまったらどうしよう??と思うとぞっとした。生きるた めに生まれてきた人間が捕らえられ、殺されなければならない、また避妊手術をされた 、、、、など、同じ人間としてやってはいけないことを平気でやってきた時代があるの だと思うと、今の日本はだいぶ平和な時代なんだなぁと思う。このままノストラダムス の予言が的中しなければの話だが(笑)。

間違った考えの代表格と言って真っ先に思いつくのがオウム宗教団体の存在だ。もし、 あの時某人物が選挙によって当選していたら、今頃日本は真っ暗闇だ。しかも、その幹 部をはじめ、次々と逮捕されていく人がいるにも関わらず、それでも自信達は間違った 行動を起こしていると気付かないのには全く呆れてしまう。それほど権力者が信者達に 植え付けた考え方は大きな影響力だったのだろう。

他にも間違った認識は、生活の中にも沢山存在している。しかし、ある程度権力者とそ の下の人達の関係って大切だとも思う。会社だって上司がいなければ社員は何をやって 良いのか分からないだろうし、学校だって先生の存在がなければ生徒は何の為に学校に 来るのか分からなくなるだろう。問題は、権力を持つ者がいかに間違った考え方をしな いかということだと思う。人間誰しも間違いは起こすし、完璧な人は絶対にいないと思 っているが、正しい情報操作の認識を探っていくべきだと思う。