個人レポート

学んだこと其の1:自分が無知であったこと

「それは何か」
たまに授業でやる用語チェックなどで、得点が低かったことから、自分は思ったよりも知識がないのだと痛感しました。正確には、「無知である」事を知ったのではなく、「思っていたよりもずっと無知だった」事を痛感したという事です。

「なぜ重要と思ったのか」
高校時代に倫理で習った事に、「無知の知」というものがある。うろ覚えなので、誰の言葉かとかの細かい内容は省きますが、大体、「人間の知りうる事など、ほんの少しなのだから、知っていると思い上がるよりは、自分が無知であることを認識していたほうがいい」という意味だったと思います。まあ、知ったかぶりをしているよりは、知識の足りなさを認識していれば色々なことに興味が持てたり、覚えようとする気力が湧いたりと、学習効果が上がるという事でしょう。要するに、自分の知識の足りなさを認識したことは、これからの学習において、実に有意義なことだと思うからです。


学んだこと其の2:情報の重要性

「それは何か」
現代社会において、情報は世の中に大きな影響を与えています。情報の操作によって、人の行動や思想を操ることも可能であるし、企業や銀行のコンピュータ内の情報を操作するだけで、大損害を与えることもできます。このような理由から、情報は現代社会において、非常に重要な存在であるといえるでしょう。

「なぜ重要と思ったのか」
「学んだこと」というよりは、「再認識した」と言った方が正しいでしょう。特に、現代のような色々な情報が世間にあふれている今、情報はあまりに身近で、知ってはいてもその重要性はなかなか意識できないと思います。だから、情報の重要性を再認識できたことは非常に有意義な事だったと思うからです。


学んだこと其の3:全てを疑え、ということ

「それは何か」
世の中には、間違った情報や、正しくはあるけど一部削除された情報など、色々と手の加えられた情報がある。それらの情報を鵜呑みにせず、とりあえず疑ってかかる事。

「なぜ重要と思ったのか」
とにかく、高度情報化の進んだ現代社会においては、情報は重要な意味を持っています。情報によって人は動いているといっても過言ではないでしょう。ですから、ガセネタやらなんやらを鵜呑みにしてしまって行動すると、ひどい目にあうかもしれません。ですから、情報を何でも鵜呑みにはせず、とりあえず疑ってかかることが必要だと思ったからです。もっとも、疑い過ぎると行動が制限されたり、身動きがとれなくなるので、疑い過ぎには気をつける必要がありますが。



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(担当:菅野)