◆定義:
(1)社会から区別された特設の場所を有し、そこに必ず教師と生徒がいる。つまり、教育の主体と客体が明白に指摘でき、両者は直接的な接触や交流を行う場所を学校という。また、学校では、ふつう定まった時間割りで継続的な教育が行われる。つまり、プログラムがあり、予め設定された到達目標をめざして計画的な活動が展開されている。
(2)法律上の学校とは、「学校教育法」第一条の規定する学校、すなわち小学校、中学校、高等学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校、幼稚園をいい、その他、第八二条の二が規定する専修学校や、第八三条の各種学校などがある。
◆解説:
「学校」が「勉強」の場であることは世界のいずれの国であれ間違いない。
人類の最初の学校は紀元前5000年以上も前のシュメール国家に出現したものであるが、その名称は「粘土板の家」であった。生徒(国王の穀倉を管理する将来のエリート役人候補生)は早朝より学校で粘土を捏ねてノートを作成し、教師の手本を真似て楔形文字の学習をしたり、計算の練習をしたりした。だから学校は「粘土板の家」と呼ばれたが、「勉強」中心の学校であることは間違いない。
世界の学校をみるとこのような「勉強」中心の伝統を温存する「学校」も少なくないが、国によっては「学校」が「勉強」中心から脱皮して、いわゆる狭義の「勉強」以外の教育的活動(クラブ活動などの野外活動)を行ったり、生徒の発達を助長するための「世話(ケアー)」(教育相談や生徒指導)を行ったりする「学校」もあることがわかる。
世界の学校の教育過程や生徒指導体制を比較的に分析してみると、世界の学校は三類型に大別できる。
第一のタイプの学校では、教科の授業以外にこれといった活動はなく、生徒も教師もいわゆる「授業」が終わると下校する。ドイツの学校が午前中だけであるように、クラブ活動などの時間がないために学校は短い。生徒会のような自治的活動もなければ、運動会や文化祭といった学校行事もない。フランスやデンマーク、あるいはオランダの学校でもそうである。
第二の(旧)社会主義の学校でも教科の授業が終われば、学校は終わりである。旧ソ連の学校では多くの子供は午前あるいは午後の、授業のない時間には旧ソ連でピオネール宮殿(現在は創造の家という)と呼ばれていた少年組織のための特別の場(中国では少年宮という)で、創作活動や野外活動、文化的あるいは科学的活動を楽しむことになっている。学校の規律の問題もこうした少年組織の集団主義教育の原理に基づく指導でもって解決する仕組みがとられていた。学校はその問題で悩まなくてもよい。その意味でも生徒指導的ケアーは学校の外の組織で行うことになっており、学校はヨーロッパ大陸に似て「勉強」の場である。しかし今やこのスタイルの学校は失われつつある。
第三のタイプのイギリスなどの学校では、選択科目の拡大が図られると同時に、課外活動や特別活動が教育課程の中に組込まれるようになり、学校は多忙になる。しかしその分だけ面白いし、思い出もたくさん残せるような場に変ってくる。クラブ活動もあるし、全校集会もあれば多様な学校行事もある。学校や教師は、生徒指導体制が整備されるにつれ、生徒の日常的な諸問題にも関与し、指導・援助をするようになる。イギリスやオーストラリアなどではパストラル・ケアー(牧師のような気持ちでケアーする)と呼ばれる生徒指導体制が用意されるようになった。アメリカやカナダではカウンセリング・ガイダンス体制が整備されている。学校が一人ひとりの生徒のトータルな人生・生活に係わって指導や援助を行うことがわかる。とても温かい、親切な学校であるともいえる。
日本の学校はまさにこの第三型であるイギリス・アメリカ的な学校観を受け継ぎ、学校の性質も変化し、多忙な学校となっている。しかし、個性を尊重し、温かくて親切な学校であるかどうかは別である。
学校は骨折り損のくたびれ儲けをする場所でしかないといったのはルソーだが、この批判は四無主義、すなわち無気力、無関心、無責任、無感動の氾濫する今日の学園にぴったりあてはまる。学校が面白くない、つまらないというわけだが、その原因はおそらく学校に対する最大の不満、世界青年意識調査で第一位にあげられた「試験の成績だけで優劣をきめて、人間性を軽視している」、同じく第二位にあげられた「知識の暗記を重視し、創造性が養われない」にあるだろう。これとは裏腹に学校はますます繁盛する。我々の周辺にはありとあらゆる学校があり、学ぼうと思えばどんな学校でも探すことができる。しかし、学校が繁盛すればするほど、学校らしい学校は後景に退いていく。もっとも本当の学校はどれか、真の教育はどこにあるのかという点になると、うまく答はでないが、学校の真髄が見失われていく今日であるがゆえに、改めて学校とは何かというしごく当たり前な問題を考える必要があるだろう。
◆参考文献:
[1] 二宮 皓(編者)、1997年、「世界の学校
比較教育文化論の視点にたって」、福村出版
[2] 梅原 徹(著者)、1996年、「日本史小百科<学校>改訂新版」、東京堂出版