メディア論(担当:鈴木克明)99.8.5
グループ作品「メディア論重要キーワード5解説」
担当:0311998125  永洞  春美

キーワード1:うわさ

定義:

(1)もっとも古くからあるマス・メディア。文字が書かれる以前では、くちづたえの伝達が、社会におけるコミュニケーションの唯一の経路であり、うわさはニュースを運び、評判を作り、打ち消し、暴動や戦争を急転させた。現在、さまざまなメディアの存在にもかかわらず、大衆は、口から耳へと、情報の一部を流し続けている。

(2)うわさは人々を幻惑し、魅了し、心を捕らえ、燃え上がらせる。

解説:

     大衆消費財を生産しているアメリカ大手企業の一つプロクター・アンド・ギャンブル社は、1981年以来、不安に駆られた消費者から、一ヶ月数千本にのぼる電話に見舞われる。彼らは、会社が、うわさ通り、悪魔と契約をしているかどうかを知りたがっているのだ。そのうわさによれば、この会社の商標となっている、無数の星を見つめている人間の顔が、実は、多くのサタンのしるしを秘めているというのである。よく見ると、星は悪魔の数字666を描き出している。事業を拡大するためにプロクター・アンド・ギャンブル社は悪魔と契約し、利益の10パーセントを悪魔の教団に支払っている、というのである。1980年頃、ミシシッピー西岸に生まれたこのうわさは、急速にひろがって、合衆国東部にまで達した。このうわさによって、プロクター・アンド・ギャンブル社が思ってもいなかった戦いの火蓋が切られたのである。一風変った星の戦いである。罪もない星の示す記号に動揺した多くの宗教団体は、破滅の刻印を押された製品の不買運動をキャンペーンした。

     1966年の終わりにルーアンで、ある著名な既製服店が婦女売買のためのおとりの店だ、といううわさが流れた。無数の抗議の電話が殺到する。いくら否定しても鎮まらないこのうわさに追われて、店の女主人は戦うことをあきらめて、町を離れる。三年後、同じうわさがオルレアンに襲いかかった。ユダヤ人が経営していた著名な六つの店には、客が一人も来なくなる。若い娘たちが試着室で裸にされて姿を消したというのである。警察が店の地下室に行ってみると、麻薬を飲まされて、婦女売買組織に引き渡される寸前の、二、三人の若い女が見つかった、というのだ。うわさはすさまじい勢いでひろがった。<アルレアンのうわさ>を消滅させるために、あるいはすくなくとも沈黙させるために、パリの大新聞や地方紙、さまざまな公的機関や公権力を総動員しなければならなかったのである。

     1973年1月、与党野党を問わず政界に一つのうわさが流れた。大統領ジョルジュ・ポンピドゥーが重病で命があぶない、任期一杯、全うできないだろう、というのである。このうわさは、そうかも知れないと絶えず疑いを持ち続けていたジャーナリズムとマス・メディアに受けつがれて国中にひろまったのである。大統領の病気については、公式にはけっして確認されなかったが、常に会話の最大の話題であった。一年後、事実、このフランス共和国大統領は、恐るべき病いで死去しなければならなかった。

     1963年11月22日、アメリカ合衆国で、ジョン・フィッツジェランド・ケネディは、随行員をしたがえてダラスの町をオープンカーで通行中、暗殺された。公式の特別委員会が、この瞬間に関する結論をまとめることになった。名高いウォーレン報告書の中では、ケネディ大統領暗殺が、L・オズワンドという自らの意志によって行動した個人による単独犯行であると、何のためらいもなく結論されている。だが、犯行の後、数日もたたぬうちに、一つのうわさが生まれた。その日、ダラスには何人もの狙撃者がいた、というのである。したがって、陰謀が現実にあったのではないかと取沙汰された。ある者はフィデル・カストロの名をあげ、ある者はCIA(アメリカ中央情報局)を口にした。確かなことは一つ、オズワルドの単独犯行であるという公式見解も、けっしてアメリカの一部世論を納得させなかったということである。

     以上はきわめてよく知られたうわさの四つの例である。どの場合も、同じプロセスで展開しており、いずくともなく発生した風評が増殖し伝播する。その運動は広がり、頂点に達した後、弱まり初めて、ちょろちょろともえる焚火のように砕けて、多くの場合、静かに消える。けれどもこの四つの例はどれも互いにひどく異なったところがある。オルレアンでは、うわさには何の根拠もない。同様に、プロクター・アンド・ギャンブル社は悪魔と何の関係もない。逆にポンピドゥー大統領の不治の病についてのうわさは、きわめて根拠のあるものだった。ウォーレン報告の結論を打ち消すようなうわさについて言えば、事柄全体がはっきりしないので、疑惑が持たれても仕方がないのであった。

     うわさというものは、必然的に間違っていて、突飛で、非合理的なものである、といった概念を持たれている。また、この概念は、道徳的配慮と独断的偏見によって動かされているように見える。しかし、うわさを予防する唯一のやり方として、人々に話すことを禁ずるということはできない。信頼できる情報のみが流れるのを見たいという、一見合法的な配慮が、ただちに、情報管理、さらには発言の管理に通ずる。そうなれば、メディアが唯一の情報源になり、そうなったとき、もはや、公式の情報しか存在しなくなる。そして、それこそが、うわさの存在理由の核心となる。

参考文献:

[1] ジョン=ノエル・カプフェレ(著者)、古田  幸男(訳者)、1993年、「うわさ<増補版>」、法政大学出版局