個人レポート
川上 拓也
0311998051
g031w051@edu.soft.iwate-pu.ac.jp

学んだこと1:「やらせが悪い?・・・だから何なの?」


「それは何か」

 他の人の意見を掲示板でみたが、「やらせ」や「情報操作」に対して結構批判的な意見が多かったが、それは「やらせ」や「情報操作」によって「だまされた」と感じたからだろう。ただ、それって「だまされた」って思う人のメディアリテラシーが低いだけなのでは?

「なぜ重要だと思ったのか」

「メディアリテラシーを持とう」ということにも絡むのかも知れないが、やらせ云々に対して「だまされた」と感じるのは、「メディアは正しい情報を与えてくれる」という間違った前提条件を持っているからだろう。 ただ、何が正しくて何が正しくないのか、これについては言及できない。何が真実で何が虚構なのかなんて、見方や立場、状況などでどうにでも変わってしまうものなのだから。 結局は自分のものを観る「目」である。それ以外に信用できるものなど何もないのかも知れない。まあ、この「目」ですら嘘をつくこともあるのだが。それらも含めてメディアリテラシーを持とう、という結果に行き着いたため。
まあ、みなさん各々で考えてみましょうや。ねぇ。  


学んだこと2:「まあ、いろいろとやっては来ましたが・・・」


「それは何か」

 メディアが何たるか? について鈴木"大"先生のもと、学んできたわけですが・・・
結局のところ、メディアって何だったんでしょう?

「なぜ重要だと思ったのか」

講義をうければ受けるほど、「メディアとは何んぞや?」という講義命題に近くなっては、さらに遠く離れていった気がする。
まあ、最終的に自分的にまとめた「メディアとは何ぞや?」の答えは、「言様、見方で変わってしまう、何でもないもの」と結論づけました。
ええ、他人には理解されなくても、自分のなかではまとまっているんですから・・・


学んだこと3:「鈴木教授は情報操作の鬼を演じた?」


「それは何か」

> 『メディア論』的にとらえると,講義という大学における学びの形式は,
> 前近代的である。(以下略)

などと言いつつ、やっぱり「大学の講義」な講義を行う鈴木教授。
「自分は講義のスタイルは好かん」などと言って学生たちの共感得て、堂々とふつーな講義を続けたニクイひとである。(と私は思っている) 哀れな岩手県立大学ソフトウェア情報学部の学生たちは、鈴木教授のこのような言霊によって操られることとなってしまったのであります。

「なぜ重要だと思ったのか」

ある意味、この講義形式全体で「情報操作とかってこういうもんなのだよー。それにはよー気づかんかい、ボケェ」という、鈴木教授から我々学生に対するメッセージだったのではないだろうか? え?考えすぎですか? まあ、こういう解釈しても文句は言えないような講義内容だったからなぁ。