レポート課題:この講義で学んだことを3つ述べよ。

学んだこと1:学生を長い間続けながら考えてきた疑惑が確信的なものに変わったこと


「それは何か」

私は今年でもう、学生暦が14年目になる。
長い間、授業だ、講義だと受けさせられながら、ずっと疑問に思うことがあった。
こんな風に、講師が、先生が黒板の前に立って、あーだ、こーだと話しつづけても、 はたして、どれほどの人が理解し、租借し、そして、発展させていくだろうか、と。
決して、その全てが無駄なものとは思わない、が、もっと楽しく、効率よく、そして、 より実践的な教え方はないものだろうか。
授業に出ている、生徒のどれほどが同じことを考えているかはわからない、が、 少しくらいはいてもいいはずである。
そして、その中の幾人かは先生や講師や教授になってもおかしくない。
なのに、なぜ、皆、通り一遍の方法でしか物事を伝えられないのだろうか。
先日、鈴木教授が同じようなことを考えていたのだと知って、やはり、教える立場の人も 疑問に思っていたのだ、と学んだ。
そして、この疑問を少しでも解消できないものかと考える気持ちができた。


「なぜ重要だと思ったのか」

大袈裟に言えば、人間という個人の資質は幼い頃からの教育によって決まると私は考えている。
その教育に、無駄な部分が多いのではないかとも考えている。
そして、その無駄な部分をなくす努力をしてみたいという気持ちになったのは私事ながら、 とても重要なことである。

学んだこと2:メディアに関する知識


「それは何か」

メディア論について、あれこれ聞かされたり見せられたりしたのだから、 メディアとは何か、また、それに関する用語、現象などを学んだのは当然の結果といえるだろう。

「なぜ重要だと思ったのか」

しかし、ここにおいて、正確に言えば重要なのはこの知識ではなく、 知ることによって生まれた興味である。
人間は興味がなければ、自発的には知識を求めないと私は考えている。
だから、このメディアに関する興味というのはこの時代において 極めて重要といえるのではないだろうか。
できるなら、自分が何も知らないことを知ることができるようになりたいものである。

学んだこと3:マスメディアの信頼性


「それは何か」

マスメディアは情報を垂れ流しにしている。
そして、それが嘘であるか、本当なのか、言われなければわからない。
私もいろんな情報を見たり、聞いたりしながら、あらかさまに怪しいものはともかく、 新聞やニュースはどこかで鵜呑みにしていたような気がする。
この講義を通じて、正確にはそれだけではないが、情報は疑ってかかるということを学んだ。


「なぜ重要だと思ったのか」

現代は情報が全てであり、その真偽は極めて重要である。
もし、間違った情報を真実と勘違いすれば、大袈裟に言って命を落とすかもしれない。
最初から、疑ってかかれば例え間違っていたとしても疑心暗鬼に陥ることはないだろう。
そういった観点から考えるに情報に関する無条件の収集に関する歯止めをかけることは、 重要なことだと、私は思う。