メディア論(担当:鈴木克明)99.7.1.
個人レポート「メディア論を振り返って」の形式例


 レポート課題:この講義で学んだことを3つ述べよ。(この講義を通して、自分にとって何がためになったかを振り返り、自分にとっての重要度の順に3つのことを取り上げ、「それが何か」を簡単に解説し、「なぜ重要だと思ったのか」を説明すること。この講義に関連していることという範囲の中にあれば、何を取り上げるかは主観的な重要度順に委ね、評価の対象としない。字数制限なし。期限8/13。提出方法は3を参照のこと。)

学んだこと1:学生が『メディア論』に興味を持ってるということ


「それは何か」

 興味とはなにか,といえば,「おもしろがること」「へぇー,とおもうことがあること」である。掲示板に書かれた感想を読むと,あっさりと一言だけのものがある一方で,真剣に講義の内容を受けとめ,自分の体験と照らし合わせ,疑問を投げ掛け,あるいは,意見を開陳しているものも見られた。

「なぜ重要だと思ったのか」

 今年から『メディア論』を担当し,試行錯誤で毎週の講義を実施したが,来年もこの線でいけそうだという感覚をつかめたから。やはり,ソフトウェアをつくる側にまわる学生諸君にとって,「消費者」の立場,利用者の立場からメディア体験を捉え直すことは,意味があることだと再認識できたから。


学んだこと2:学生のAttention Spanは15分程度であること


「それは何か」

 Attention Spanとは,集中力が持続する時間のことである。『メディア論』の講義に『教員の口頭,黒板,テキスト』の講義3大メディアのみを使うのは自己矛盾であるとの前提に立って,様々なメディアの活用を試みた。教員の口頭メディアを使っている間は「私語厳禁」であるというマナーは確立されておらず,集中力が途切れると,それが素直に,雑音となってあらわれる。ビデオなどの映像刺激の場合,内容によっては集中力がかなり長く続く場合もあったが,15分と考えるのが安全圏のようである。(この事態を裏側から覗けば,メディア論で取り上げたネタは,それぞれが15分しかもたない内容であった,あるいは,話術の限度が15分であった,となる。)

「なぜ重要だと思ったのか」

 (略)※注記:レポートではこの作戦(略)は,使用禁止である。


学んだこと3:『講義』という伝達手段は,嫌いであること


「それは何か」

 『メディア論』的にとらえると,講義という大学における学びの形式は,前近代的である。黙って聞いている,という約束の元に,90分という長きにわたって,一方的に情報の伝達が行われる。グーテンベルグによる印刷術の発明によって,口頭による知識の伝達という形式は,その使命を「教科書に書いていないようなホットな研究成果や裏話的内容」に限定されたはずであるにも関わらず,他の学習メディアが氾濫する今日においても,営々と続けられている。その結果として,自分で書籍から学ぶというもっとも基礎的でパワフルな学習ができない(あるいはしない)大学生を育ててきている。それを無批判に,あるいは未検討のまま,自らが行うのはいやだ,ということが今回の講義で確認できた。

「なぜ重要だと思ったのか」

 (略)※注記:レポートではこの作戦(略すこと)は,使用禁止である。