メディア論(担当:鈴木克明)99.4.22.
グループ作品「メディア論重要キーワード5解説」内容の例


キーワード2:1959年(せんきゅうひゃくごじゅうきゅうねん)



定義:

(1)皇太子(平成天皇)の結婚パレードというメディアイベントがあり、テレビが全国の茶の間に普及した年。(2)NHK教育テレビが誕生した年。1999年には、ETV40周年として各種の特集が組まれた。(3)メディア論の担当者(鈴木)が生誕した年。教育テレビ誕生の10日後に生まれた偶然が、その後の研究活動を運命付けていると本人を錯覚させている原因。

解説:

(1)「メディアイベント」とは,ダーヤンとカッツによって提唱された概念で,マスコミュニケーションの特別な祭日を意味する。テレビでは,通常の放送を中断して,ほとんどチャンネルで同じ行事が生中継される。メディアイベント自体は,テレビ局以外の組織によって主催され,あらかじめ計画され,予告して行われるセレモニー的行事である。オリンピックに代表される「競技型」,アポロ十一号の月面着陸などの「制覇型」,そして皇太子の結婚パレードが含まれる「戴冠型」に分類される。

 1959年は,日本では「岩戸景気」といわれる高度成長期であり,皇太子の結婚パレードをみたいという理由でテレビ受像機が飛躍的に普及した。テレビ受像機は,洗濯機,冷蔵庫とともに「三種の神器」といわれ,この3つを揃えるのが憧れとされていたが,サラリーマンの平均月収の15倍もする高価な家電製品であった。NHKのテレビ受信契約数は,1958年5月には100万台であったのが,結婚パレード直前の4月3日には,200万台を超えた。パレードの中継は推計で,1500万人が見たという(1台当たり7.5人)。

 われわれは,1993年に,ふたたび皇太子ご成婚パレードのメディアイベントを経験した。テレビ各局は,この日を「雅子さん」が「雅子さま」に,つまり民間人が皇族の一員になる通過儀式として構造化して伝えた。これを見た日本人は多く,関東地区での最高視聴率は79.9%を記録したが,34年前のパレードのときに比べて,「日本人が一体となった」と感じた視聴者の割合は,かなり減っているという指摘もある。つまり,メディアが発達した現在に比べて,1959年においては,テレビで放映されるメディアイベントが『国民としてひとつになる』という国家統合の機能を強く果たしていた。

(2)(3)の解説:きわめて個人的な思い入れなので省略

参考文献:

浜日出夫(1997)「<地球村>と<テレビの祭日>」『大航海』No.17(特集:マクルーハン再考〜マスコミ批判の原点〜)p.53-61

(担当:鈴木克明)